ながえ孝子からのご挨拶GREETING

伝えたいことがある叶えたいものがある

私が青いポロシャツを着て、初めて街角に立ったのが、2008年9月。
10年が経ちました。その間、4回 国政選挙に挑みました。
3度の落選を乗り越えてチャレンジした2019年7月の参院選の後、町を歩いていたら30代前半とおぼしき若い男性から「あ、ながえさん」と声をかけられました。「おめでとう」と言って下さるのです。「ありがとうございます」と応えると「ながえさん当選して僕 嬉しかったですよ。」とおっしゃるではありませんか。初めて会う方です。驚いて「喜んでくれたんですか?」とお聞きすると「僕 これまで、あんまりええことなかったんです。でもながえさん見よったら、コツコツまじめにやっとったら、ええこともあるんやなぁって思えてきて、すごい嬉しかったんです。応援してます。」
私は涙が出そうでした。
こんなうれしい言葉を聞けたのも、いつもの青いポロシャツを着てたから、見つけてもらえたんですよね。だから、これからも気軽に声かけて貰えるよう、青いポロで街を歩き続けよう!そして、辛いことや不安に思ってることを聴かせて貰おう!そう心に決めました。

2019年の参院選では、本当に多くの県民の皆さんが背中を押して下さいました。女性候補の応援をしたい、憲法を守って欲しい、脱原発を進めて欲しい、「もぎたてテレビ」見てたから・・・などなど、様々な想いが込められた35万票を頂きました。
これからそのご期待に応えられるよう、全力を尽くしたい。皆が故郷で安心して暮らせる政治を実現していきたいと思います。
それが、暑い夏 応援して下さった皆さまへの私にできる恩返しだと思っています。

プロフィール

ながえ孝子

1960年(昭和35年)松山市に毛糸店の三女として生まれる。
松山東高等学校、神戸大学法学部卒業。
南海放送で、初のママさんアナウンサーとして「もぎたてテレビ」を18年間務め、愛媛県内くまなく歩き、現場や暮らしの声を取材してきた。2009年(平成21年)、衆議院選挙に比例当選。国会では、教育・地方自治分野で活躍。震災をうけて学校の耐震化工事の推進などの実績を残すも、その後落選。
その後、経験を活かして話し方・マネージメントの講師など務めていたが、市民団体の声に押されて一党独裁打破の県民統一候補として闘うも惜敗。しかし、へこたれず、背負った31万8000票を次こそ国会へ届けるべく、県内一円で継続して活動し、2019年(令和1年)愛媛県選挙区で参議院議員に当選。
嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事)と参議院 会派「碧水会(へきすいかい)」を結成、活動中。

HISTORY

1960年(昭和35年)
松山市大街道の毛糸店の三女として生まれる。
1967年(昭和42年)
松山市立東雲小学校入学
1973年(昭和48年)
松山市立御幸中学校入学
1976年(昭和51年)
愛媛県立松山東高等学校入学
1979年(昭和54年)
国立神戸大学法学部入学
1983年(昭和58年)
南海放送にアナウンサーとして入社
1986年(昭和61年)
結婚
1987年(昭和62年)
長女の佑麻(ゆま)誕生
1988年(昭和63年)
長男の彬太郎(あきたろう)誕生
1991年(平成3年)
ふるさとのいいとこ探しの旅『もぎたてテレビ』スタート
2008年(平成20年)
これまでの人生で一番大きな決断をしました。
9月19日南海放送を退職。次期衆議院選挙に愛媛1区から民主党公認予定候補として政治活動開始
2009年(平成21年)
第45回衆議院選挙に民主党公認で愛媛1区から立候補。
2010年(平成22年)
127,562票を獲得し、比例四国ブロックで復活当選。
2012年(平成24年)
文部科学委員会理事に就任。民主党幹事長補佐を拝命
2013年(平成25年)
前年に行われた衆議院総選挙で落選。
2014年(平成26年)
民主党愛媛県連代表として県連の立て直しを行う。
2015年(平成27年)
働く若い人をサポートできる仕事をしようと「コパンNagae」を立ち上げ人材育成・研修・能力開発事業を始める。
2016年(平成28年)
市民の皆さんと「ふたたび。平和のために」の思いをともに、出馬を決意。野党統一候補として驚異的な追い上げで、31万8,561票を獲得するも、あと一歩追いつかず、8000票差で惜敗。
2017年(平成29年)
無所属、無地盤、無カバン、三無ながらも、身体が頑丈で、我慢強くへこたれず、愛媛の地理に強い、の三強を活かし、愛媛で応援下さる方々のネットワーク構築をめざし、後援会支部を15支部立ち上げる。
2019年(令和1年)
愛媛県選挙区で参議院議員に当選

何故政治家を目指したか?

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よくアナウンサーでいた方がよかったでしょ?と聞かれます。
「楽しかったでしょうね。でも、政治の世界に飛び込んで、後悔はありません。何度落選しようと・・・。」と答えます。 だって、大きな仕事をさせて貰えるかもしれないチャンスを頂ける訳ですから。
それに、地域密着番組「もぎたてTV」のパーソナリティを18年務めさせて貰って、私は、愛媛の津々浦々を歩き、農業、漁業、観光業、飲食業、あらゆる生業の担い手の皆さんと出会いました。そして「我が故郷、愛媛には何て素晴らしい人がおられて、地域の宝物が多く生み出されていることか!」

誇らしく思っていました。が、取材を重ねる18年の間に、どんどん故郷が縮むのも感じてきました。農家のお父さんが「もう農業じゃ食っていけんけん、息子には継ぐな いよんじゃ」と悲しい言葉をよく聞くようになり、シャッター街になってしまった商店街も沢山ありました。「なんでやろ?」
放送を通じて、故郷の元気を取り戻すお手伝いが出来ないかと、頑張ってましたが、どんどん過疎はひどくなり、限界を感じていた頃、民主党から次の衆院選に出てくれないかと声がかかりました。

過疎、一極集中、一次産業衰退、少子化、格差、これらは政治のツケだよね?
悩んだ末に、お引き受けすることにしました。政治の世界に行けば、本当に役に立てるかもしれない、そんな想いが私の背中を押しました。

それともう一つ。一つの政党が権力を握り続けると、奢る、腐る、さぼる、碌なことはない。お互いに監視し、緊張感持って選んで貰う為の努力をさせる為には、二大政党制がいい。もう一つ拮抗する強い政党が必要だ。と思っていたからです。
今、政治は、独裁者とも言える一人によって、行政がねじ曲げられ、国民の知る権利が踏みにじられ、格差が広がり、かつて多くの先人が守り伝えてきた、日本の素晴らしい気質・価値観や地域の財産が、壊され 切り売りされようとしています。
今こそ、次の政権目指して、野党頑張らねば!!

現在の役職など

衆議院議員時代 こんなことをやりました。

1. 小学校の耐震化

震災後、全国平均に比べて遅れていた公立小中学校の耐震化工事を進めました。学校は避難所となるので、地域の皆さんと子どもたちの命を守る為、通常松山市が工事経費の2/3を負担しなければならないところを、国が93%負担する特例を実現し、耐震化率を約82%に引き上げました。100%目指して更に頑張ります。

2. 「子どもたちの未来を守る女性議員ネットワーク」での被災地の子ども支援

女性議員に一人一人声をかけネットワークを立ち上げ、被災地の子ども支援を行っています。「子どもふっこう会議」を開き、専門家にも入って頂き「提言」をまとめ、被災地の子ども支援の財源を確保しました。福島の子どもたちの健康を見守り続ける医療体制の整備などです。エネルギー問題でも「2030年代に原子力0]を、党の指針に盛り込むことができました。

3. 返済不要の奨学金制度を作ろう

学ぶ意欲はあるのに経済的理由で進学をあきらめる子どもたちを応援しようと<返済不要の奨学金制度>を作る活動をしています。活動の成果で、就職して所得が低いうちは返済を猶予する制度は出来ましたが、今後も、本人が努力するなら高校・大学へ行って勉強することを国が応援する「返済不要の給付型奨学金制度」を作るよう頑張ります。日本の資源は人材ですから。

4. 本四高速道路の料金の引き下げ、県の出資金の引き下げ

本四架橋の高い料金は、多大なコスト増となっていました。本四の料金が安くなると、松山から出荷される野菜・果物なども輸送コストが押さえられ東京近郊ものに比べても売れやすくなります。松山への観光客も増えることでしょう。粘り強く国土交通省と折衝し、本四架橋部分もほかの高速道路と一体となった料金体系となり橋通行料が安くなりました。

5. 大街道商店街の駐車場の新規着工

商店街にとっては駐車場の確保が大きな問題です。二番町の旧香川銀行と三越駐車場跡地を新たな商店街駐車場とする工事に、国から商店街振興のための補助金を送り支援します。今度は、ラフォーレ跡地の再生支援で、中心市街地の活性化に力を尽くします。

ながえの『希望を作ろう!プロジェクト』

  • 1暮らしを守る=生命を守る

    1. 各家庭の使えるお金=可処分所得を増やす。

    • 子育ての応援(児童手当の増額、医療費の無料化など)、教育の無償化
    • 消費税を引き下げる
    • 最低賃金のアップ、同一労働同一賃金を進める

    2. 毎日の安心をしっかりと!

    • 暮らせる「年金」への制度改革
    • 災害の復興支援と防災、減災の備えを万全に。
    • 安心して働きながら子育てが出来るように、延長・休日・病児保育・育児時短など体制を整える
  • 2地域格差をなくす

    1. 愛媛のチカラに磨きをかける

    • 農林水産業を儲かる産業へとブラッシュアップ
    • ヤル気のある中小企業・個人営業主、地域ベンチャー・起業を徹底応援
    • 「しまなみ海道」の通行料、高速料金値下げなど、
      人モノの移動をもっと安価に

    2. 現場のチカラを支える

    • 保育、医療、介護、教育、の待遇改善で現場力をアップ
    • 治体行政の現場力をアップするよう地方に主権(決定権と財源)を

    3. グリーン投資&脱原発で地域に仕事を

    • 再生可能エネルギーへの投資で、地域の雇用を作る
    • 蓄電送電などの省エネ技術の研究開発
  • 3多様性を大事にする

    1. 女性がしなやかに「ガラスの天井」を突き抜けられるように支援を!

    • 選択制夫婦別姓、共同親権の実現
    • 子育てしながらキャリアアップ出来る環境作り
    • あらゆる意思決定の場の3割を女性が占めるように!

    2. チルドレンファースト

    • 子ども=日本の未来 を軸に据えて、行政が行われるよう「子ども庁」を創設
    • シングルマザー・ファーザーの支援
    • 共同親権の実現

    3. シニアの力、障がいをおった人の視点を活かして

    • リタイア後のシニアの力・ノウハウを社会に役立ててもらう仕組み作り
    • 再チャレンジを支える生涯教育環境作り
    • イルクルージング教育
  • 4何よりも平和を大切に

    1. 憲法9条の理念を守る

    2. 「安保法制」の廃止

    3. ウィンウィン外交の推進

政治理念・信条

『 ながえ流 ~すべての出会いをチカラに!~ 』

県下を取材し、県下で活動してきた「ながえ孝子」ならではの政治信条があります。
「ながえ流」と言ったらいいでしょうか。皆さんとの出会いが、ながえの活動の原点です。

ながえ流 ~すべての出会いをチカラに!~

1.あなたの傍にいます

政治の世界に来て10年。いや、その前の「もぎたてテレビ」の取材の時から、多くの現場の皆さんが教えて下さったこと、感じていることが、私の進む道を教えて下さいました。なすべき事を示し、背中を押して下さいました。
今も、国会で私が述べる意見、質問のベースは、愛媛の皆さんからお聞きした声、ご意見です。その大事なお声を聴き集める為、青いシャツで愛媛中を走り回ってます。どうぞ、お見かけになりましたら、お声かけて下さいね。

2.現場の声が一番

とにかく、1人でも多くの人に会い、話を聴き、不安や心配を解消してもらえる支援をしたいのです。それが「もぎたて18年」「落選3回からの復活」を応援して下さった皆さんへのご恩返しだと思っています。
それで、今も県内走り回り、あなたの町で「ふれあいトーク」を開いてます。
ぜひ、あなたのお困りごと、聴かせて下さい。

3.未来志向、子ども達へのギフトを!

今を生きる大人の責任は、次の世代の子ども達の人生の選択肢を増やすことだと思います。
愛媛中を取材で歩いている時に、つくづく感じていたのは、子ども達の笑い声が聞こえない町の寂しさ。地域格差を埋めたいと頑張るのも、農林水産業を盛り上げたいと力を込めるのも、平和を願うのも、エネルギー問題を考えるのも、みんな みんな 子どもたちの為。今の私たちの頑張りは、子ども達へのギフトです。私たちが、先人から貰った素晴らしいものを、次の世代にも渡せるよう頑張りたいのです。

ながえの想い

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ながえはこの度、愛媛初の女性参議院議員になりました。
そして、今、四国で唯一の女性の国会議員なんです。
【多数決に逆らう一票 にぎりしめ】
「こんな想いで、わが村の女性の皆さんが投票に行ってたよ。」

あの夏の参院選の後、保守王国と言われる愛媛の小さな集落で静かに、しかし、大きく変わっていった女性たちの行動を、一つの句にして教えてくださった方がおられました。
かつて、放送局で仕事を働いてしている時、私は昭和21年4月10日 女性参政権が認められ、初めての一票を投じた女性の声を収録するために、県内を歩きまわったことがあります。
「あの日は日本晴れやったね」「嬉しゅうてねぇ」
「行ったぁ?行ったぁ 近所の声かけあって行ったんよ」
昭和21年に二十歳になっていらした皆さんですから、当時でも70歳代から80歳代。皆さん記憶を掘り起しながら、よほど嬉しかったのか、懐かし気に目を細めて、笑顔で話して下さいました。政治に物申す参政権は、女性たちがやっと手にした貴重な権利だったのです。
それから半世紀・・・。投票率の低下が問題となっています。が、2019愛媛の参院選は、凄かった!まさに熱かった! 女性たちが能動的に周囲に声をかけたり、ビラを配ったり、街角で手を振って下さったり、動いて下さった選挙でした。もちろん今の安倍独裁を変えなければと、一歩前に出てくださった多くの男性方と一緒になっての、まさに一般市民が、手弁当で活動して下さった『草の根』の選挙でした。

「ながえ孝子さんに投票したいんやけど、ちゃんと書けるやろか」とご心配下さったあるおばあちゃん。お部屋のこたつの上には、間違えないように、「ながえ孝子」「ながえ孝子」と、沢山書かれた新聞紙が置いてあったそうです。何度も忘れないように練習してくださったのでしょう。
だから 私は頑張ります。
私の1議席は、愛媛の女性たちの想いの結集でもあります。
だから 私は頑張ります。

かつて、ママアナ第一号として、3歳、2歳の子どもを抱え「もぎたてテレビ」がスタートした時、月2回 3泊4日の出張と日曜の生放送、これから生放送というタイミングで保育園からかかってくる「熱が出たようなのでお迎えに来てください。」
という電話・・・
本当に助けて欲しかった。税金もちゃんと納めているのに、なぜ公立保育園に入れないの?
0歳児だとなぜ延長保育してくれない?
  生まれた娘が子育てする時代には、こんな苦労しなくて済むような世の中になるように・・・願ってやみませんでした。
今、日本の国の最高意思決定の場に送っていただきました。
今こそ娘世代にギフトを送る時。
だから 私は頑張ります。
多くの女性たちの世代を超えた想いを一歩前に進めるために。

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