ながえ孝子からのご挨拶GREETING

伝えたいことがある叶えたいものがある

私が青いポロシャツを着て、初めて街角に立ったのが、2008年9月。
15年が経ちました。
3度の落選を乗り越えての2019年参院選当選の後、町を歩いていたら30代前半とおぼしき若い男性から「あ、ながえさん、おめでとう」と声をかけられました。「ながえさん当選して僕 嬉しかったですよ。」とおっしゃるではありませんか。初めて会う方です。驚いて「喜んでくれたんですか?」とお聞きすると「僕 これまで、あんまりええことなかったんです。でもながえさん見よったら、コツコツまじめにやっとったら、ええこともあるんやなぁって思えてきて、すごい嬉しかったんです。応援してます。」
私は涙が出そうでした。
いつもの青いポロシャツを着てたから、見つけてもらえたんですよね。だから、これからも青ポロで街を歩き続けます。そして、辛いことや不安に思ってることを聴かせて貰おう!そう心に決めました。

2019年の参院選では、本当に多くの県民の皆さんが背中を押して下さいました。女性議員が増えて欲しい、一党独裁はいかん、などなど様々な想いが込められた35万票を頂きました。
そのご期待にお応えして『皆が故郷で安心して暮らせる政治』を実現するよう全力を尽くします。

プロフィール

ながえ孝子

1960年(昭和35年)松山市に毛糸店の三女として生まれる。
松山東高等学校、神戸大学法学部卒業。
南海放送で、初のママさんアナウンサーとして「もぎたてテレビ」を18年間務め、愛媛県内くまなく歩き、現場や暮らしの声を取材してきた。2009年(平成21年)、衆議院選挙に比例当選。国会では、教育・地方自治分野で活躍。震災をうけて学校の耐震化工事の推進などの実績を残すも、その後落選。
その後、経験を活かして話し方・マネージメントの講師など務めていたが、市民団体の声に押されて一党独裁打破の県民統一候補として闘うも惜敗。しかし、へこたれず、背負った31万8000票を次こそ国会へ届けるべく、県内一円で継続して活動し、2019年(令和1年)愛媛県選挙区で参議院議員に当選。
嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事)と参議院 会派「碧水会(へきすいかい)」を結成、3年間活動の後、無所属議員として、党派のしがらみなく、活動している。

HISTORY

1960年(昭和35年)
松山市大街道の毛糸店の三女として生まれる。
1967年(昭和42年)
松山市立東雲小学校入学
1973年(昭和48年)
松山市立御幸中学校入学
1976年(昭和51年)
愛媛県立松山東高等学校入学
1979年(昭和54年)
国立神戸大学法学部入学
1983年(昭和58年)
南海放送にアナウンサーとして入社
1986年(昭和61年)
結婚
1987年(昭和62年)
長女の佑麻(ゆま)誕生
1988年(昭和63年)
長男の彬太郎(あきたろう)誕生
1991年(平成3年)
ふるさとのいいとこ探しの旅『もぎたてテレビ』スタート
2008年(平成20年)
これまでの人生で一番大きな決断をしました。
9月19日南海放送を退職。次期衆議院選挙に愛媛1区から民主党公認予定候補として政治活動開始
2009年(平成21年)
第45回衆議院選挙に民主党公認で愛媛1区から立候補。
2010年(平成22年)
127,562票を獲得し、比例四国ブロックで復活当選。
2012年(平成24年)
文部科学委員会理事に就任。民主党幹事長補佐を拝命
2013年(平成25年)
前年に行われた衆議院総選挙で落選。
2014年(平成26年)
民主党愛媛県連代表として県連の立て直しを行う。
2015年(平成27年)
働く若い人をサポートできる仕事をしようと「コパンNagae」を立ち上げ人材育成・研修・能力開発事業を始める。
2016年(平成28年)
市民の皆さんと「ふたたび。平和のために」の思いをともに、出馬を決意。野党統一候補として驚異的な追い上げで、31万8,561票を獲得するも、あと一歩追いつかず、8000票差で惜敗。
2017年(平成29年)
無所属、無地盤、無カバン、三無ながらも、身体が頑丈で、我慢強くへこたれず、愛媛の地理に強い、の三強を活かし、愛媛で応援下さる方々のネットワーク構築をめざし、後援会支部を15支部立ち上げる。
2019年(令和1年)
愛媛県選挙区で参議院議員に当選

何故政治家を目指したか?

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よく「アナウンサーでいた方がよかったでしょ?」と聞かれます。
「楽しかったでしょうね。でも、政治の世界に飛び込んで後悔はありません。何度落選しようとも。」

地元放送局で地域密着番組「もぎたてTV」のパーソナリティを18年務めさせて貰いました。
「我が故郷、愛媛には素晴らしい人が大勢おられて、地域の宝物が沢山生み出されている!」愛媛の津々浦々を取材し歩いた私は、そう誇らしく思っていました。が、取材を重ねる18年の間に、農家のお父さんから「もう農業じゃ食っていけんけん、息子には継ぐな言よんじゃ」と悲しい言葉をよく聞くようになり、シャッター街になってしまった商店街も沢山見てきました。どんどん故郷が縮むのを感じてきました。

過疎、東京一極集中、一次産業衰退、少子化、格差拡大、
「これって 政治のツケだよね?」
「なんで長期保守政権の下で、地方がこんな衰退していくの?」

2008年 悩んだ末に、衆議院議員選挙への出馬要請をお受けすることにしました。
政治の世界に行けば、番組では叶わなかった『愛媛を元気にする!』その実現の役に立てるかもしれない、そんな想いが私の背中を押しました。

それともう一つ。
一つの政党が権力を握り続けると、奢る、腐る、さぼる、碌なことはない。
緊張感持ってどの政党にも「選んで貰う為の努力」をさせる為には、もう一つの拮抗する政治勢力が必要だ。と思っていたからです。
あわせて、保守王国と言われる愛媛だからこそ、多様な意見の受け皿が必要です。政府の進める政策にモノ申したい、もっといい政策がある、などいろんな考えを吸い上げ、改善に努めることが重要です。議論と切磋琢磨が必要です。
一色に染まらない、彩豊かな愛媛であるために、私は 頑張ります!!

現在の役職など

衆議院議員時代 こんなことをやりました。

1. 小学校の耐震化

震災後、全国平均に比べて遅れていた公立小中学校の耐震化工事を進めました。学校は避難所となるので、地域の皆さんと子どもたちの命を守る為、通常松山市が工事経費の2/3を負担しなければならないところを、国が93%負担する特例を実現し、耐震化率を約82%に引き上げました。100%目指して更に頑張ります。

2. 「子どもたちの未来を守る女性議員ネットワーク」での被災地の子ども支援

女性議員に一人一人声をかけネットワークを立ち上げ、被災地の子ども支援を行っています。「子どもふっこう会議」を開き、専門家にも入って頂き「提言」をまとめ、被災地の子ども支援の財源を確保しました。福島の子どもたちの健康を見守り続ける医療体制の整備などです。エネルギー問題でも「2030年代に原子力0]を、党の指針に盛り込むことができました。

3. 返済不要の奨学金制度を作ろう

学ぶ意欲はあるのに経済的理由で進学をあきらめる子どもたちを応援しようと<返済不要の奨学金制度>を作る活動をしています。活動の成果で、就職して所得が低いうちは返済を猶予する制度は出来ましたが、今後も、本人が努力するなら高校・大学へ行って勉強することを国が応援する「返済不要の給付型奨学金制度」を作るよう頑張ります。日本の資源は人材ですから。

4. 本四高速道路の料金の引き下げ、県の出資金の引き下げ

本四架橋の高い料金は、多大なコスト増となっていました。本四の料金が安くなると、松山から出荷される野菜・果物なども輸送コストが押さえられ東京近郊ものに比べても売れやすくなります。松山への観光客も増えることでしょう。粘り強く国土交通省と折衝し、本四架橋部分もほかの高速道路と一体となった料金体系となり橋通行料が安くなりました。

5. 大街道商店街の駐車場の新規着工

商店街にとっては駐車場の確保が大きな問題です。二番町の旧香川銀行と三越駐車場跡地を新たな商店街駐車場とする工事に、国から商店街振興のための補助金を送り支援します。今度は、ラフォーレ跡地の再生支援で、中心市街地の活性化に力を尽くします。

ながえの『希望を作ろう!プロジェクト』

  • 1暮らしを守る=生命を守る

    1. 各家庭の使えるお金=可処分所得を増やす。

    • 子育ての応援(児童手当の増額、医療費の無料化など)、教育の無償化
    • 消費税を引き下げる
    • 最低賃金のアップ、同一労働同一賃金を進める

    2. 毎日の安心をしっかりと!

    • 暮らせる「年金」への制度改革
    • 災害の復興支援と防災、減災の備えを万全に。
    • 安心して働きながら子育てが出来るように、延長・休日・病児保育・育児時短など体制を整える
  • 2地域格差をなくす

    1. 愛媛のチカラに磨きをかける

    • 農林水産業を儲かる産業へとブラッシュアップ
    • ヤル気のある中小企業・個人営業主、地域ベンチャー・起業を徹底応援
    • 「しまなみ海道」の通行料、高速料金値下げなど、
      人モノの移動をもっと安価に

    2. 現場のチカラを支える

    • 保育、医療、介護、教育、の待遇改善で現場力をアップ
    • 治体行政の現場力をアップするよう地方に主権(決定権と財源)を

    3. グリーン投資&脱原発で地域に仕事を

    • 再生可能エネルギーへの投資で、地域の雇用を作る
    • 蓄電送電などの省エネ技術の研究開発
  • 3多様性を大事にする

    1. 女性がしなやかに「ガラスの天井」を突き抜けられるように支援を!

    • 選択制夫婦別姓、共同親権の実現
    • 子育てしながらキャリアアップ出来る環境作り
    • あらゆる意思決定の場の3割を女性が占めるように!

    2. チルドレンファースト

    • 子ども=日本の未来 を軸に据えて、行政が行われるよう「子ども庁」を創設
    • シングルマザー・ファーザーの支援
    • 共同親権の実現

    3. シニアの力、障がいをおった人の視点を活かして

    • リタイア後のシニアの力・ノウハウを社会に役立ててもらう仕組み作り
    • 再チャレンジを支える生涯教育環境作り
    • イルクルージング教育
  • 4何よりも平和を大切に

    1. 憲法9条の理念を守る

    2. 「安保法制」の廃止

    3. ウィンウィン外交の推進

政治理念・信条

『 ながえ流 ~すべての出会いをチカラに!~ 』

県下を取材し、県下で活動してきた「ながえ孝子」ならではの政治信条があります。
「ながえ流」と言ったらいいでしょうか。皆さんとの出会いが、ながえの活動の原点です。

ながえ流 ~すべての出会いをチカラに!~

1.あなたの傍にいます

政治の世界に来て10年。いや、その前の「もぎたてテレビ」の取材の時から、多くの現場の皆さんが教えて下さったこと、感じていることが、私の進む道を教えて下さいました。なすべき事を示し、背中を押して下さいました。
今も、国会で私が述べる意見、質問のベースは、愛媛の皆さんからお聞きした声、ご意見です。その大事なお声を聴き集める為、青いシャツで愛媛中を走り回ってます。どうぞ、お見かけになりましたら、お声かけて下さいね。

2.現場の声が一番

とにかく、1人でも多くの人に会い、話を聴き、不安や心配を解消してもらえる支援をしたいのです。それが「もぎたて18年」「落選3回からの復活」を応援して下さった皆さんへのご恩返しだと思っています。
それで、今も県内走り回り、あなたの町で「ふれあいトーク」を開いてます。
ぜひ、あなたのお困りごと、聴かせて下さい。

3.未来志向、子ども達へのギフトを!

今を生きる大人の責任は、次の世代の子ども達の人生の選択肢を増やすことだと思います。
愛媛中を取材で歩いている時に、つくづく感じていたのは、子ども達の笑い声が聞こえない町の寂しさ。地域格差を埋めたいと頑張るのも、農林水産業を盛り上げたいと力を込めるのも、平和を願うのも、エネルギー問題を考えるのも、みんな みんな 子どもたちの為。今の私たちの頑張りは、子ども達へのギフトです。私たちが、先人から貰った素晴らしいものを、次の世代にも渡せるよう頑張りたいのです。

ながえの想い

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ながえは2019年、愛媛初の女性参議院議員になりました。
あの夏の参院選、保守王国と言われる愛媛の小さな集落で静かに、しかし、大きく変わっていった女性たちの行動を「こんな想いで、わが村の女性の皆さんは投票に行ってたよ。」と一つの句にして伝えて下さった方がおられました。
【多数決に 逆らう一票 にぎりしめ】
1946年(昭和21年)4月10日 女性参政権が認められ、日本の女性達が初めての一票を投じた日です。
放送局時代、私は初めての1票を投じた女性の声を取材してまわったことがあります。

「あの日は日本晴れやったね~」
「投票できるんが誇らしゅうてねぇ。モンペもええモンペはいていったんよ。」
「行ったぁ?行ったぁ?ゆうて近所のみんな声かけあって行ったんよ。」

半世紀以上前の事なのに、よほど嬉しかったのか、遠い記憶に懐かし気に目を細めて、笑顔で話されるんです。政治に参加する『参政権』は、女性たちがやっと手にした貴重な権利だったんです。

しかし、投票は出来るようになったものの それから70年が過ぎても、投票先は多数決で主人の言う通り、あるいは地域で決められる・・・ 
そんな風土に、女性達が逆らった 2019愛媛の参院選 女たちの『草の根』選挙でした。

「ながえ孝子さんに投票したいんやけど、ちゃんと書けるやろか」

あるおばあちゃんはそう心配をし、部屋のこたつの上には、間違えないように、「ながえ孝子」「ながえ孝子」と、沢山書かれた新聞紙が置いてあったそうです。
何度も忘れないように練習してくださったのでしょう。
だから私は頑張ります。

私の1議席は、愛媛の女性たちの想いの結集です。
だから 私は頑張ります。
日本の最高意思決定の場にその意見を持っていく為に。
だから私は頑張ります。

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