プロフィール、歴史ABOUT

なぜ 青いポロシャツを
着ているか

私が青いポロシャツを着て、初めて街角に立ったのが、2008年9月。
朝 街頭に立ってても公選法で名前が出せないので、同じ服を着続けて覚えて貰おうと、始めた青ポロです。
それから16年が経ちました。今も青ポロで街頭に立っています。
3度の落選を乗り越えて2019年参院選当選の後、町を歩いていたら30代前半とおぼしき若い男性から「あ、ながえさん、おめでとう」と声をかけられました。「ながえさん当選して僕 嬉しかったです。」とおっしゃるではありませんか。初めて会う方です。驚いて「喜んでくれたんですか?」とお聞きすると「僕 これまで、あんまりええことなかったんです。でもながえさん見よったら、コツコツまじめにやっとったら、ええこともあるんやなぁって思えてきて、すごい嬉しかったんです。応援してます!」
 私は涙が出そうでした。
いつもの青いポロシャツを着てたから、見つけてもらえたんですよね。
だから、これからも青ポロで 街を歩き続けます。
そして、辛いことや不安に思ってることを聴かせて貰おう!そう心に決めました。
今日も あなたに寄り添います。

プロフィール

ながえ孝子

1960年(昭和35年)松山市に毛糸店の三女として生まれる。
松山東高等学校、神戸大学法学部卒業。
南海放送で、初のママさんアナウンサーとして「もぎたてテレビ」を18年間務め、愛媛県内くまなく歩き、現場や暮らしの声を取材してきた。2009年(平成21年)、衆議院選挙に比例当選。国会では、教育・地方自治分野で活躍。震災をうけて学校の耐震化工事の推進などの実績を残すも、その後落選。
その後、経験を活かして話し方・マネージメントの講師など務めていたが、市民団体の声に押されて一党独裁打破の県民統一候補として闘うも惜敗。しかし、へこたれず、背負った31万8000票を次こそ国会へ届けるべく、県内一円で継続して活動し、2019年(令和1年)愛媛県選挙区で参議院議員に当選。
嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事)と参議院 会派「碧水会(へきすいかい)」を結成、3年間活動の後、無所属議員として、党派のしがらみなく、活動している。

HISTORY

HISTORY

1960年(昭和35年)
松山市大街道の毛糸店の三女として生まれる。
1967年(昭和42年)
松山市立東雲小学校入学
1973年(昭和48年)
松山市立御幸中学校入学
1976年(昭和51年)
愛媛県立松山東高等学校入学
1979年(昭和54年)
国立神戸大学法学部入学
1983年(昭和58年)
南海放送にアナウンサーとして入社
1986年(昭和61年)
結婚
1987年(昭和62年)
長女の佑麻(ゆま)誕生
現場に復帰し初のママさんアナウンサーとなる
1988年(昭和63年)
長男の彬太郎(あきたろう)誕生
1991年(平成3年)
ふるさとのいいとこ探しの旅『もぎたてテレビ』スタート
34年間続く看板番組の初代パーソナリティを務める。
2008年(平成20年)
これまでの人生で一番大きな決断を。
9月 南海放送を退職。衆議院選挙に愛媛1区からチャレンジを決意。
2009年(平成21年)
第45回衆議院選挙に愛媛1区から立候補。
127,562票を獲得し、四国ブロックで比例当選。
国会では 文部科学委員会理事に就任。民主党幹事長補佐を務める。
2012年(平成24年)
衆議院総選挙で落選。
2014年(平成25年)
前年に行われた衆議院総選挙で落選。
2014年(平成26年)
浪人で2年頑張るも衆議院総選挙 落選。
2015年(平成27年)
働く若い人をサポートしようと「コパンNagae」を立ち上げ人材育成・研修・能力開発事業を始める。
2016年(平成28年)
市民の皆さんからの要請に応え、野党統一候補として参議院選挙に出馬を決意。驚異的な追い上げで、31万8,561票を獲得するも、あと一歩8000票差で惜敗。
全県に支援の輪が広がったことを受け3年かけての再チャレンジを決意。
2018年(平成30年)
無所属、無地盤、無カバン、三無ながらも、身体が頑丈で、我慢強くへこたれず、愛媛の地理に強い、の三強を活かし、愛媛で応援下さる方々のネットワーク構築をめざし、後援会支部を23支部立ち上げる。
2019年(令和1年)
愛媛県選挙区で参議院議員に当選。愛媛で初の女性参議院議員となる。
2020年(令和2年)
コロナ禍で、マスクがないとの医療・介護現場の悲鳴を受けて、全県に呼びかけマスクを集め届ける「マスクプロジェクト」やバイトが出来なくて財政的に困っている学生支援の「ガク飯」などを展開。
2021年(令和3年)
参議院では、経済産業分野を中心に、中小企業支援策に注力。
2022年(令和4年)
環境員会理事。再エネ拡大、リサイクル推進、環境保護など地球にも愛媛にも良い政策実現に尽くす。
2023年(令和5年)
地球温暖化Stop! のため、市民の皆さんの協力をお願いする啓発イベント「環境シンポジウム」を毎年開催。

何故政治家を目指したか?

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地元放送局で地域密着番組『もぎたてTV』のパーソナリティを18年 務めさせて頂きました。
「我が故郷、愛媛には素晴らしい人が大勢おられて、地域の宝物が沢山生み出されている!」愛媛の津々浦々を取材し歩いた私は、そう誇らしく思っていました。が、取材を重ねる18年の間に、農家のお父さんから「もう農業じゃ食っていけんけん、息子には継ぐな言よんじゃ」と悲しい言葉をよく聞くようになり、シャッター街になってしまった商店街も沢山見てきました。どんどん故郷が縮むのを感じてきました。

過疎、東京一極集中、一次産業衰退、少子化、格差拡大、
「これって 政治のツケだよね?」
「なんで長期保守政権の下で、地方がこんな衰退していくの?」

そんな疑問が大きくなり、2008年 悩んだ末に、衆議院選挙への出馬要請を受けることにしました。政治の世界に行けば、番組では叶わなかった『愛媛を元気にする!』ことが出来るかもしれない、そんな想いが私の背中を押しました。

加えて、
一つの政党が権力を握り続けると、奢る、腐る、碌なことはありません。
緊張感持ってどの政党にも「選んで貰う為の努力」をさせる為には、拮抗する政治勢力が必要、二大政党制が民主主義を補完すると思っていたからです。
そして、二つの力がしのぎを削ってこそ、いい政策が実現していくと信じています。議論と切磋琢磨が必要です。
一色に染まらない、彩豊かな愛媛であるために、私は 頑張ります!!

現在の役職など

衆議院議員時代
こんなことをやりました。

1. 小学校の耐震化

震災後、全国平均に比べて遅れていた公立小中学校の耐震化工事を進めました。学校は避難所となるので、地域の皆さんと子どもたちの命を守る為、通常松山市が工事経費の2/3を負担しなければならないところを、国が93%負担する特例を実現し、耐震化率を約82%に引き上げました。100%目指して更に頑張ります。

2. 「子どもたちの未来を守る女性議員ネットワーク」での被災地の子ども支援

女性議員に一人一人声をかけネットワークを立ち上げ、被災地の子ども支援を行っています。「子どもふっこう会議」を開き、専門家にも入って頂き「提言」をまとめ、被災地の子ども支援の財源を確保しました。福島の子どもたちの健康を見守り続ける医療体制の整備などです。エネルギー問題でも「2030年代に原子力0]を、党の指針に盛り込むことができました。

3. 返済不要の奨学金制度を作ろう

学ぶ意欲はあるのに経済的理由で進学をあきらめる子どもたちを応援しようと<返済不要の奨学金制度>を作る活動をしています。活動の成果で、就職して所得が低いうちは返済を猶予する制度は出来ましたが、今後も、本人が努力するなら高校・大学へ行って勉強することを国が応援する「返済不要の給付型奨学金制度」を作るよう頑張ります。日本の資源は人材ですから。

4. 本四高速道路の料金の引き下げ、県の出資金の引き下げ

本四架橋の高い料金は、多大なコスト増となっていました。本四の料金が安くなると、松山から出荷される野菜・果物なども輸送コストが押さえられ東京近郊ものに比べても売れやすくなります。松山への観光客も増えることでしょう。粘り強く国土交通省と折衝し、本四架橋部分もほかの高速道路と一体となった料金体系となり橋通行料が安くなりました。

5. 大街道商店街の駐車場の新規着工

商店街にとっては駐車場の確保が大きな問題です。二番町の旧香川銀行と三越駐車場跡地を新たな商店街駐車場とする工事に、国から商店街振興のための補助金を送り支援します。今度は、ラフォーレ跡地の再生支援で、中心市街地の活性化に力を尽くします。

あなたに寄り添うプロジェクト

  • 1豊かに暮らすを最優先

    • 「暮らせる年金」へ
    • 保育・介護 職の報酬アップ
    • 「消費税5% 食料品0%」減税で物価高に対抗
    • 最低賃金のアップ、同一労働同一賃金を進める
  • 2チルドレン・ファーストが未来を創る

    • 教育の無償化
    • 病児保育など仕事と育児の両立支援
    • 「子どもの貧困」をなくす
  • 3愛媛のチカラをもっと大きく

    • 稼げる農林漁業へ[直接支払い]で応援
    • 地域の生活の足を確かに(「しまなみ」橋の通行料金値下げ)
    • 老朽化インフラの強化など防災投資を
    • ヤル気のある中小企業・個人事業主、地域ベンチャー・起業を徹底応援
  • 4あなたらしく生きられるように

    • 選択制夫婦別姓の導入
    • 再チャレンジを支える生涯教育環境作り
    • リタイア後のシニアのノウハウ・力を社会に役立ててもらう仕組み作り
  • 5民主主義を守ります

    • 企業団体献金の禁止
    • 安保法を廃止し、憲法9条で平和を守る
    • 身を切る改革(国会議員の定数削減と税金のムダ使い一掃)

政治理念・信条

『 ながえ流 ~すべての出会いを
チカラに!~ 』

県下を取材し、県下で活動してきた「ながえ孝子」ならではの政治信条があります。
「ながえ流」と言ったらいいでしょうか。皆さんとの出会いが、ながえの活動の原点です。

ながえ流 ~すべての出会いをチカラに!~

1.あなたの傍にいます

政治の世界に来て10年。いや、その前の「もぎたてテレビ」の取材の時から、多くの現場の皆さんが教えて下さったこと、感じていることが、私の進む道を教えて下さいました。なすべき事を示し、背中を押して下さいました。
今も、国会で私が述べる意見、質問のベースは、愛媛の皆さんからお聞きした声、ご意見です。その大事なお声を聴き集める為、青いシャツで愛媛中を走り回ってます。どうぞ、お見かけになりましたら、お声かけて下さいね。

2.現場の声が一番

とにかく、1人でも多くの人に会い、話を聴き、不安や心配を解消してもらえる支援をしたいのです。それが「もぎたて18年」「落選3回からの復活」を応援して下さった皆さんへのご恩返しだと思っています。
それで、今も県内走り回り、あなたの町で「ふれあいトーク」を開いてます。
ぜひ、あなたのお困りごと、聴かせて下さい。

3.未来志向、子ども達へのギフトを!

今を生きる大人の責任は、次の世代の子ども達の人生の選択肢を増やすことだと思います。
愛媛中を取材で歩いている時に、つくづく感じていたのは、子ども達の笑い声が聞こえない町の寂しさ。地域格差を埋めたいと頑張るのも、農林水産業を盛り上げたいと力を込めるのも、平和を願うのも、エネルギー問題を考えるのも、みんな みんな 子どもたちの為。今の私たちの頑張りは、子ども達へのギフトです。私たちが、先人から貰った素晴らしいものを、次の世代にも渡せるよう頑張りたいのです。

ながえの想い

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ながえは2019年、愛媛初の女性参議院議員になりました。
あの夏の参院選、保守王国と言われる愛媛の小さな集落で静かに、しかし、大きく変わっていった女性たちの行動を「こんな想いで、わが村の女性の皆さんは投票に行ってたよ。」と一つの句にして伝えて下さった方がおられました。
【多数決に 逆らう一票 にぎりしめ】
1946年(昭和21年)4月10日 女性参政権が認められ、日本の女性達が初めての一票を投じた日です。
放送局時代、私は初めての1票を投じた女性の声を取材してまわったことがあります。

「あの日は日本晴れやったね~」
「投票できるんが誇らしゅうてねぇ。モンペもええモンペはいていったんよ。」
「行ったぁ?行ったぁ?ゆうて近所のみんな声かけあって行ったんよ。」

半世紀以上前の事なのに、よほど嬉しかったのか、遠い記憶に懐かし気に目を細めて、笑顔で話されるんです。政治に参加する『参政権』は、女性たちがやっと手にした貴重な権利だったんです。

しかし、投票は出来るようになったものの それから70年が過ぎても、投票先は多数決で主人の言う通り、あるいは地域で決められる・・・ 
そんな風土に、女性達が逆らった 2019愛媛の参院選 女たちの『草の根』選挙でした。

「ながえ孝子さんに投票したいんやけど、ちゃんと書けるやろか」

あるおばあちゃんはそう心配をし、部屋のこたつの上には、間違えないように、「ながえ孝子」「ながえ孝子」と、沢山書かれた新聞紙が置いてあったそうです。
何度も忘れないように練習してくださったのでしょう。
だから私は頑張ります。

私の1議席は、愛媛の女性たちの想いの結集です。
だから 私は頑張ります。
日本の最高意思決定の場にその意見を持っていく為に。
だから私は頑張ります。

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