プロフィール、ながえに質問ABOUT

プロフィール

ながえ孝子

1960年(昭和35年)松山市に毛糸店の三女として生まれる。
松山東高等学校、神戸大学法学部卒業。
南海放送で、初のママさんアナウンサーとして「もぎたてテレビ」を18年間務め、愛媛県内くまなく歩き、現場や暮らしの声を取材してきた。2009年(平成21年)、衆議院選挙に比例当選。国会では、教育・地方自治分野で活躍。震災をうけて学校の耐震化工事の推進などの実績を残すも、その後落選。
その後、経験を活かして話し方・マネージメントの講師など務めていたが、市民団体の声に押されて一党独裁打破の県民統一候補として闘うも惜敗。しかし、へこたれず、背負った31万8000票を次こそ国会へ届けるべく、県内一円で継続して活動し、2019年(令和1年)愛媛県選挙区で参議院議員に当選。
嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事)と参議院 会派「碧水会(へきすいかい)」を結成、3年間活動の後、無所属議員として、党派のしがらみなく、活動している。

HISTORY

HISTORY

1960年(昭和35年)
松山市大街道の毛糸店の三女として生まれる。
1967年(昭和42年)
松山市立東雲小学校入学
1973年(昭和48年)
松山市立御幸中学校入学
1976年(昭和51年)
愛媛県立松山東高等学校入学
1979年(昭和54年)
国立神戸大学法学部入学
1983年(昭和58年)
南海放送にアナウンサーとして入社
1986年(昭和61年)
結婚
1987年(昭和62年)
長女の佑麻(ゆま)誕生
現場に復帰し初のママさんアナウンサーとなる
1988年(昭和63年)
長男の彬太郎(あきたろう)誕生
1991年(平成3年)
ふるさとのいいとこ探しの旅『もぎたてテレビ』スタート
34年間続く看板番組の初代パーソナリティを務める。
2008年(平成20年)
これまでの人生で一番大きな決断を。
9月 南海放送を退職。衆議院選挙に愛媛1区からチャレンジを決意。
2009年(平成21年)
第45回衆議院選挙に愛媛1区から立候補。
127,562票を獲得し、四国ブロックで比例当選。
国会では 文部科学委員会理事に就任。民主党幹事長補佐を務める。
2012年(平成24年)
衆議院総選挙で落選。
2014年(平成25年)
前年に行われた衆議院総選挙で落選。
2014年(平成26年)
浪人で2年頑張るも衆議院総選挙 落選。
2015年(平成27年)
働く若い人をサポートしようと「コパンNagae」を立ち上げ人材育成・研修・能力開発事業を始める。
2016年(平成28年)
市民の皆さんからの要請に応え、野党統一候補として参議院選挙に出馬を決意。驚異的な追い上げで、31万8,561票を獲得するも、あと一歩8000票差で惜敗。
全県に支援の輪が広がったことを受け3年かけての再チャレンジを決意。
2018年(平成30年)
無所属、無地盤、無カバン、三無ながらも、身体が頑丈で、我慢強くへこたれず、愛媛の地理に強い、の三強を活かし、愛媛で応援下さる方々のネットワーク構築をめざし、後援会支部を23支部立ち上げる。
2019年(令和1年)
愛媛県選挙区で参議院議員に当選。愛媛で初の女性参議院議員となる。
2020年(令和2年)
コロナ禍で、マスクがないとの医療・介護現場の悲鳴を受けて、全県に呼びかけマスクを集め届ける「マスクプロジェクト」やバイトが出来なくて財政的に困っている学生支援の「ガク飯」などを展開。
2021年(令和3年)
参議院では、経済産業分野を中心に、中小企業支援策に注力。
2022年(令和4年)
環境員会理事。再エネ拡大、リサイクル推進、環境保護など地球にも愛媛にも良い政策実現に尽くす。
2023年(令和5年)
地球温暖化Stop! のため、市民の皆さんの協力をお願いする啓発イベント「環境シンポジウム」を毎年開催。
ながえに質問

何故政治の世界へ?

sample

地元放送局で地域密着番組『もぎたてTV』のパーソナリティを18年 務めさせて頂きました。
「我が故郷、愛媛には素晴らしい人が大勢おられて、地域の宝物が沢山生み出されている!」愛媛の津々浦々を取材し歩いた私は、そう誇らしく思っていました。が、取材を重ねる18年の間に、農家のお父さんから「もう農業じゃ食っていけんけん、息子には継ぐな言よんじゃ」と悲しい言葉をよく聞くようになり、シャッター街になってしまった商店街も沢山見てきました。どんどん故郷が縮むのを感じてきました。

過疎、東京一極集中、一次産業衰退、少子化、格差拡大、
「これって 政治のツケだよね?」
「なんで長期保守政権の下で、地方がこんな衰退していくの?」

そんな疑問が大きくなり、2008年 悩んだ末に、衆議院選挙への出馬要請を受けることにしました。政治の世界に行けば、番組では叶わなかった『愛媛を元気にする!』ことが出来るかもしれない、そんな想いが私の背中を押しました。

加えて、
一つの政党が権力を握り続けると、奢る、腐る、碌なことはありません。
緊張感持ってどの政党にも「選んで貰う為の努力」をさせる為には、拮抗する政治勢力が必要、二大政党制が民主主義を補完すると思っていたからです。
そして、二つの力がしのぎを削ってこそ、いい政策が実現していくと信じています。議論と切磋琢磨が必要です。
一色に染まらない、彩豊かな愛媛であるために、私は 頑張ります!!

なぜ落選しても
チャレンジを続けるのか?

無所属だと仕事はしにくくなる?

なぜ 青いポロシャツを
着ているか

私が青いポロシャツを着て、初めて街角に立ったのが、2008年9月。
朝 街頭に立ってても公選法で名前が出せないので、同じ服を着続けて覚えて貰おうと、始めた青ポロです。
それから16年が経ちました。今も青ポロで街頭に立っています。
3度の落選を乗り越えて2019年参院選当選の後、町を歩いていたら30代前半とおぼしき若い男性から「あ、ながえさん、おめでとう」と声をかけられました。「ながえさん当選して僕 嬉しかったです。」とおっしゃるではありませんか。初めて会う方です。驚いて「喜んでくれたんですか?」とお聞きすると「僕 これまで、あんまりええことなかったんです。でもながえさん見よったら、コツコツまじめにやっとったら、ええこともあるんやなぁって思えてきて、すごい嬉しかったんです。応援してます!」
 私は涙が出そうでした。
いつもの青いポロシャツを着てたから、見つけてもらえたんですよね。
だから、これからも青ポロで 街を歩き続けます。
そして、辛いことや不安に思ってることを聴かせて貰おう!そう心に決めました。
今日も あなたに寄り添います。